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名古屋大学大学院理学研究科(研究科長:松本邦弘)の伏谷 瑞穂(ふしたにみ ずほ)講師,菱川 明栄(ひしかわあきよし)教授,電気通信大学の森下 亨(もり したとおる)准教授,富山大学の彦坂 泰正(ひこさかやすまさ)教授,理化学研究所と高輝度光科学研究センターの共同研究チームは,台湾 Fu-Jen Catholic 大学と共同で,超高速2光子ラビ振動の観測に成功しました。

レーザー光のようなコヒーレントな光を物質に照射すると,量子状態の「重ね合わせ」が生じ,これを利用して2つの状態間を100%に近い効率で極めて高速に 行き来させることができます。これはラビ(Rabi)振動と呼ばれる現象で,基礎的 な物理過程であると同時に化学反応の制御や量子コンピュータなどの量子操作技 術の基幹をなす過程です。様々な応用に向けてこの光技術は1光子から多光子過程 へ拡張されていますが,これまでのところ最も単純な2光子過程の場合でさえ,そ の状態操作には最短でもピコ秒程度の時間を要しています。物質の状態を自在に操 るには,より強い光を用いてこれをさらに高速化する必要があります。一方で,光が強くなると状態そのものの変化や,イオン化などの競合する他の非線形現象が顕 著となり,ラビ振動を保つことが難しくなります。

今回研究グループは,極紫外自由電子レーザーと近赤外域の高強度フェムト秒レ ーザーを用い,強レーザー場における共鳴現象を利用することで2光子吸収による 物質状態操作をこれまでに比べて3桁近くも速い50兆分の1秒程度の極めて短 い時間内で行うことに成功しました。この成果は,今後,化学反応制御や室温にお ける量子コンピュータの量子状態操作などの基盤技術として役立つことが期待されます。

この研究成果は,英国の科学雑誌「Nature Photonics」のオンライン版に12月 1日午前1時(日本時間)に掲載されました。


ポイント

  • 多光子過程でも,数十フェムト秒内に量子状態を繰返し変化させることに成功
  • 強レーザー場共鳴現象を利用することで,様々な系に適用可能な手法を開発
  • 新しい量子状態操作手法として化学反応制御,量子情報科学などへの応用に期待


研究の背景

レーザーの誕生以降,光と物質の相互作用に関する理解が深まり,光科学に関する研究開発が 大きく進展しています。特に,レーザー光のもつコヒーレントな性質を利用した光技術の進歩は 目覚ましく,物質の内部量子状態を自在に制御することも可能となりつつあります。たとえば, 量子状態をレーザー光で「重ね合わせ」ることで,2つの量子状態間を100%に近い効率で高 速に行き来させることができます。これはラビ振動とよばれる現象で,基礎的な物理過程である と同時に量子コンピュータなどにおける状態操作の基盤技術として知られています。

ラビ振動は光のもつ光子エネルギー(hν)と2つの量子状態間のエネルギー差(ΔE)が一致す る(hν= ΔE),すなわち「共鳴」条件を満たす場合に最大の効率を示します。実験が容易である ため,通常は1光子による共鳴条件の下でラビ振動の研究が行われています。しかし,1光子過程を用いたラビ振動では利用できる量子状態の組み合わせに制限があるため,どの物質状態に対 してもこの手法が適用できるわけではありません。そのため,様々な応用に向けてこの光技術を 1光子から多光子過程へと拡張する試みが世界中で行われています。しかしながら,これまでの ところ最も単純な2光子過程の場合でさえ,1回のラビ振動に少なくともピコ秒程度の時間が必 要でした。これをさらに高速化して物質の状態を自在に操作するためには,より強い光が必要と なります。一方で光が強くなると,物質のエネルギー状態が変化して共鳴条件からのずれが生じ たり,イオン化などの他の非線形現象がおこるなど,ラビ振動を妨げる要因が顕著となることが これまでの研究で知られていました。


図1:焦点付近における近赤外レーザーパルスの光強度分布。自由電子レーザー光の集光領域に励起ヘリ ウム原子が生成する。光電子分光器が検出する領域はレーザー進行方向に 1 ミリメートル程度であるため 実効的な観測領域の光強度はほぼ一定となっている。


研究手法と成果

今回研究グループは,光強度によって物質のエネルギー状態が変化することを逆手に取った手 法を考案し,超高速なラビ振動を2光子過程で起こすことに成功しました。一般に物質の量子状 態は光強度に対して複雑な変化を示しますが,「リュードベリ状態」と呼ばれる状態ではエネル ギーが光強度に比例して変化することが知られています。研究グループはこの単純なルールに着 目し,これを利用した共鳴(=フリーマン共鳴,図2)によって高効率なラビ振動を達成しました。



図2:強レーザー場共鳴と2光子ラビ振動の概念図


研究グループは,ヘリウム原子を対象として実証実験を行いました。2光子過程に必要な強い 光を得るためには,レーザー光を 100 マイクロメートル程度の大きさのスポットに集光する必要 があります。集光点付近では,光強度が一様ではないため(図1),すべての領域からの信号を 測定すると,光強度の変化に敏感なラビ振動を精密に観測することが難しくなります。研究グル ープは,ラビ振動を駆動する近赤外域フェムト秒レーザー(波長 795 ナノメートル)の焦点の 中心部に,極紫外自由電子レーザー光(理化学研究所SCSS試験加速器,波長58.4 ナノメート ル)を用いて励起したヘリウム原子(1s2p 状態)を用意しました(図3a)。さらに磁気ボトル型 光電子分光器を検出器として用いることで,ほぼ一定の光強度の領域からの信号のみを測定でき るようにしました(図1)。

光電子スペクトルに観測されたピークのうち,1s6f リュードベリ状態(図3a)からの光電子 ピークの強度は,近赤外レーザー光の強度に対して周期的な変化を示しました(図3b)。この結 果は理論計算でよく再現でき,1s2p および 1s6p 準位の状態分布はラビ振動に特徴的なお互いに 逆位相となる周期的な振舞いを示すことがわかりました(図3c)。ラビ振動の周期は 23 フェム ト秒(光強度 6 TW/cm2)と見積もられ,従来に比べて3桁近い速さで量子状態の高効率操作を行 うことが可能となりました。


今後の期待

今回明らかとなった2光子ラビ振動の駆動法は,光強度による物質のエネルギー状態の変化を 利用した簡便な手法を用いており,複雑なレーザーパルスを準備する必要がありません。この光 強度による物質のエネルギー状態の変化は普遍的な現象であるため,本手法はヘリウム原子以外 の物質状態に対しても広く適用可能であると考えられます。また,このラビ振動の周期は数十フ ェムト秒であることから,衝突などによってラビ振動が妨げられる前に,標的とする物質の状態 操作を完了させることが可能となります。したがって,本手法は室温における物質に対しても適 用できるため,今後,光化学反応や光エレクトロニクス,量子光学,量子情報などの基盤技術としての応用が期待されます。



図3:(a)ヘリウム原子のエネルギー準位図と実験スキーム。(b)1s6f 光電子ピークの近赤外レーザー光強 度依存性(丸印)および対応する理論計算結果(実線)。(c)理論計算で得られた 1s2p および 1s5f, 1s6f, 1s7f 準位の状態分布の光強度依存性。



用語解説


※1 フェムト(ピコ)

単位の接頭辞を表す。たとえば,1フェムト秒は1000兆分の1秒,1ピコ秒は1000倍長い1兆分の1秒を表す。

※2 光子

粒子性を表す光の呼称。光子1個のもつエネルギーは,光の周波数をν、プランク定数 を h として hν と表される。

※3 ラビ振動

コヒーレントな光にさらされた量子状態が光の吸収と放出を繰り返す現象。光の吸 収および放出により物質の状態が移り変わる。アメリカの物理学者 Isidor Isaac Rabi が時間 変化の公式を導いた。

※4 コヒーレントな光

可干渉性(=コヒーレンス)が高い光。2つの異なる場所から発生した光 を重ね合わせた時にできる干渉縞は,白熱電球では数マイクロメートル程度離れると失われ る。これに対してコヒーレンスが高いレーザー光では2つの点が数キロメートル以上離れた場 合でも干渉が見られる。

※5 多光子過程

通常の光吸収過程では光子1個のみが吸収・放出されるが,光が強くなると複数 の光子が吸収・放出されることがある。これを多光子過程という。2個の光子が吸収されると きには,2光子吸収過程とよぶ。

※6 リュードベリ状態

原子は電子と核から成っており,通常,電子は核の近くを運動している。 これに対し,電子が高いエネルギーをもって核から遠く離れて運動している状態をリュードベ リ状態という。スウェーデンの物理学者 Johannes Robert Rydberg の名前から。

※7 SCSS試験加速器

X線自由電子レーザー施設(XFEL)SACLAのプロトタイプ機。2005年理研播 磨地区に建設された。 SACLA の 32 分の 1 の加速エネルギーをもち,極紫外自由電子レーザー 光を発生。コンパクト XFEL システムの実証試験と FEL 利用の R&D が行われた。2013 年に運用 を停止した後,SACLA アンジュレータホールに移設され,現在立ち上げが行われている。

※8 フリーマン共鳴

リュードベリ状態のエネルギーは,イオン化ポテンシャルとともに光強度に 比例して増加する。これに伴うリュードベリ状態への多光子吸収共鳴をフリーマン共鳴と呼 ぶ。米国の物理学者 R. R. Freeman の名前から。

※9 磁気ボトル型光電子分光器

磁気ミラー効果を利用した光電子エネルギー分析器。円錐型の強 力な永久磁石とソレノイドコイルによって発生させた磁場を用いて,微小な観測領域から放出 された全ての電子を捕集し,そのエネルギーを計測することができる。


論文情報

掲載誌:Nature Photonics(英国科学誌:ネイチャー・フォトニクス)
論文:Femtosecond two-photon Rabi oscillations in excited He driven by ultrashort intense laser fields(超短強レーザー場で駆動された励起ヘリウム原子におけるフェム ト秒2光子ラビ振動)
DOI: 10.1038/NPHOTON.2015.228
著者:伏谷 瑞穂,LIU Chien-Nan,松田 晃孝,遠藤 友随,樋田 裕斗,永園 充,富樫 格,矢橋 牧名,石川 哲也,彦坂 泰正,森下 亨,菱川 明栄