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この度、名古屋大学物質科学国際研究センターの渡辺芳人教授、同大学院理学研究科の荘司長三准教授らの研究グループは、大腸菌の中にある酵素のスイッチを「ONの状態」にすることが可能な化学物質を開発し、ベンゼン注1)を常温常圧の温和な条件下でフェノール注2)に変換する細菌を開発することに成功しました。

シトクロムP450BM3注3)と呼ばれる酸化酵素を大腸菌の中で生合成させた後、シトクロムP450BM3を活性化する化学物質を大腸菌に取り込ませると、大腸菌の培養液にベンゼンを添加するだけで、フェノールに変換することができます(フェノールの率:59%)。

ベンゼンからフェノールを工業的に合成するクメン法は、高温高圧で行われる多段階反応であるのに対し、今回開発した手法では、一段階の反応かつ室温でベンゼンをフェノールに変換することが可能です。

また、反応時間を調節することでフェノールがさらに酸化されたヒドロキノン注4)を得ることも可能です。

この研究成果は、平成30年5月25日付(日本時間)ドイツ化学会誌「AngewandteChemie International Edition」の電子版に掲載されました。


ポイント

  1. 常温常圧の温和な条件下で、ベンゼンを直接的にフェノールに変換する細菌の開発に成功
  2. 安価なブドウ糖を菌体培養液に加えるだけで反応を行うことが可能
  3. 酵素を活性化する擬似基質(デコイ分子注5))を用いることにより、天然に存在する酵素をそのまま利用可能(遺伝子操作を一切行わない)
  4. フェノールが、さらに酸化されたヒドロキノンを合成することもできる
  5. 細菌が、もともと持っている酵素をそのまま使うため、同じ酵素の遺伝子を持つ細菌を用いても同様の反応を行うことが可能


背景

ベンゼンは、もっとも単純な構造を持つ安定な芳香族化合物注6)で、ベンゼンをフェノールに変換する工業的手法は、ベンゼンを250°C、30気圧でプロピレン注7)と反応させてクメンに変換し、クメンを酸化してフェノールを合成するクメン法が主流である。クメン法は、ベンゼンを高温高圧で反応させる必要があるだけでなく、副生成物として多量のアセトン注8)が生成してしまうため、ベンゼンを出発原料とする新たなフェノール合成法の開発が求められてきた。また、酵素を用いる酸化反応では、酸素分子を活性化するために、NADPH注9)などの還元剤が消費されるが、NADPHは試薬としては非常に高価なため、NADPHが再生される大腸菌などの菌体内で反応を行う必要がある。これまでに報告した擬似基質を用いる酵素反応は、長鎖脂肪酸注10)水酸化酵素に擬似基質を取り込ませることで、ベンゼンの水酸化が可能になる反応注11)系であるが(図1下)、精製した酵素を利用した反応であるため、基質と等量のNADPHを消費してしまい、実用的な反応系とは言えなかった。


研究の内容

長鎖脂肪酸を水酸化するシトクロムP450BM3と呼ばれる酸化酵素を大腸菌に生合成させ、新たに開発した大腸菌に取り込まれる擬似基質(デコイ分子)を反応溶液に添加すると、ベンゼンがフェノールへと変換されることを明らかにした(図2)。今回開発した反応系は、常温常圧の温和な条件でベンゼンをフェノールに変換し、5時間の反応でフェノールの収率(反応したベンゼンがどのくらいフェノールに変換されたかの割合)は59%に達する。フェノールがさらに酸化されたヒドロキノンも16%の収率で得られ、ベンゼンの転換効率は75%に達する。天然に存在する酵素に、本来とは異なる分子を酸化させる場合には、蛋白質を構成するアミノ酸を遺伝子操作により、違うアミノ酸に置き換える変異導入と呼ばれる手法が一般的であるが、今回の反応系は、天然の酵素をそのまま用いることが可能であり、同じ酵素の遺伝子を持つ細菌にデコイ分子が取り込まれた場合には、ベンゼンがフェノールに変換される可能性が高い。


成果の意義

今回開発した菌体内反応系は、常温常圧の温和な条件下で、ベンゼンを直接的、かつ選択的にフェノールに変換できることから、フェノールの新規合成法としての応用展開が期待できる。また、擬似基質(デコイ分子)を用いる手法は、天然に存在する酵素をそのまま利用することが可能で、遺伝子操作で酵素自体を改変する必要がなく、さらに、菌体の培養液にデコイ分子を添加するだけで、ベンゼンを水酸化可能になる全く新しい概念の反応系を開発した。


用語説明

注1)ベンゼン:C6H6の分子式の最も単純な構造を持つ芳香族炭化水素。発癌性物質としても知られている。

注2)フェノール:ベンゼンの一つのC-H結合がC-OHに置き換わった芳香族化合物。フェノールは、医薬品や染料、合成高分子の原料として、広範に用いられている重要な合成化学原料である。

注3)シトクロムP450BM3:巨大菌由来のシトクロムP450で、長鎖脂肪酸を水酸化する。シトクロムP450の中でも最大の酸化活性(最大毎分15000回転)を持つ。

注4)ヒドロキノン:フェノールの水酸基(-OH)の反対側(パラ位)がさらに水酸化された化合物。ヒトに対する発がん性はほとんどないと考えられている。

注5)デコイ分子(擬似基質):酵素は、鍵と鍵穴の関係で説明されるように、酵素の鍵穴に合致する化学物質のみを対象とした物質変換を行う。酵素が対象とする化合物に構造がよく似たダミー化合物(これをデコイ分子(疑似基質)と呼ぶ)を酵素に結合させると酵素が誤作動し、鍵穴とは全く異なる形の化学物質を変換できるようになる。シトクロムP450BM3の場合には、長鎖脂肪酸に構造がよく似た化合物であり、後述するパーフルオロアルキルカルボン酸がデコイ分子として機能しシトクロムP450BM3の誤作動を引き起こす。

注6)芳香族化合物:環状不飽和有機化合物の一群

注7)プロピレン:示性式CH2=CH-CH3の炭化水素

注8)アセトン:示性式CH3C(=O)CH3で表される有機溶媒

注9)NADPH(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチドリン酸):電子伝達体、シトクロムP450BM3による酸素分子の活性化に必要な電子を供給する。

注10)長鎖脂肪酸:アルキル鎖の鎖長が11以上のアルキルカルボン酸。鎖長が16のパルミチン酸や18のステアリン酸などは大豆油に含まれている。

注11)水酸化反応:-CH結合に酸素原子を挿入して-C-OH(アルコール)に変換する反応。


論文情報

雑誌名:Angewandte Chemie International Edition(Wiley-VCH)

アンゲヴァンテ・ケミー・インターナショナル・エディション

論文タイトル:Whole-Cell Biotransformation of Benzene to Phenol Catalysed by IntracellularCytochrome P450BM3 Activated by External Additives

著者:Masayuki Karasawa Joshua Kyle Stanfield Sota Yanagisawa Osami Shoji Yoshihito Watanabe

DOI:10.1002/anie.201804924

https://doi.org/10.1002/anie.201804924



図1シトクロムP450BM3による長鎖脂肪酸の水酸化反応(上)と

擬似基質(デコイ分子)存在下でのベンゼンの水酸化反応(下)


図2大腸菌の細胞膜透過性デコイ分子を用いる大腸菌内でのシトクロムP450BM3によるベンゼンの水酸化反応