関連データ・研究者

発表のポイント

  • 省エネルギー電子機器実現のため、発熱によるエネルギー損失の少ないスピン流が注目されている
  • しかし、従来のスピン流生成機構には、希少な重金属が必要なほか原理的問題点があった
  • 研究グループは、水素や炭素などのありふれた原子からなる有機化合物を使った生成機構を発見

早稲田大学高等研究所の中 惇(なか まこと)講師は、北海道大学、明治大学、東北大学金属材料研究所、東京大学、理化学研究所と共同で、これまでプラチナ(Pt)などの希少な重金属を用いて生成されてきたスピン流(※1)を、水素や炭素、酸素などのありふれた元素からなる有機化合物を用いて高い効率で生み出す新しい機構を理論的に発見しました。これはスピントロニクス(※2)材料研究の裾野を大きく広げ、電子機器への応用を進める画期的な成果です。

電子は電荷を持つと同時に小さな磁石としての性質(スピン)を持っています。現代社会を支える電子機器のほとんどは、電荷の流れである電流を用いて動作していますが、もしもこれをスピンの流れ(スピン流)に置き換えることができれば、発熱によるエネルギー損失のない究極の省エネルギー機器が実現できます。

本研究では、有機化合物の分子の配向パターンに注目し、新しい機構を発見しました。理論計算から、この機構によるスピン流への変換効率は、Ptを用いた従来の生成機構と匹敵することが明らかになっています。今後、本研究で構築した理論をさらに多様な物質へと応用することで、高効率なスピン流生成を可能とする物質を理論的に見出し、理論の実証を目指します。

本研究成果は、『Nature Communications』に2019年9月20日に掲載されました。

論文情報

雑誌名:Nature Communications

論文名:Spin current generation in organic antiferromagnets

執筆者名(所属機関名):Makoto Naka(早稲田大学), Satoru Hayami(北海道大学), Hiroaki Kusunose(明治大学), Yuki Yanagi(東北大学金属材料研究所), Yukitoshi Motome(東京大学), Hitoshi Seo(理化学研究所)

掲載日時:2019年9月20日午後6時(日本時間)

DOI:10.1038/s41467-019-12229-y


(1)これまでの研究でわかっていたこと

電子は電荷を持つと同時に小さな磁石としての性質(スピン)を持っています。現代社会を支える電子機器のほとんどは、電荷の流れである電流を用いて動作していますが、もしもこれをスピンの流れ(スピン流)に置き換えることができれば、ジュール発熱によるエネルギー損失のない究極の省エネルギー機器が実現できます。このためには、スピン流を電流と同じように深く理解し、自在に制御できる必要があります。

スピン流を効率良く作り出す方法の一つに、2000年代の初めに発見されたスピンホール効果(※3)があります。これはスピン軌道結合(※4)と呼ばれる性質に由来します。しかしながら、スピン軌道結合は重い原子ほど強いため、大きなスピンホール効果を得るにはプラチナ(Pt)などの希少な重金属が必要となります。さらに、スピン軌道結合は、高い効率でスピン流を生成できる反面、スピン流が物質中を伝わる距離を著しく縮めてしまうというジレンマがあります。このため、全く新しいスピン流の生成機構が強く求められていました。

(2)今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

こうした問題に対して、本研究では、水素や炭素、酸素などのありふれた軽い原子で構成された有機化合物を使って、スピン軌道結合に頼ることなくスピン流を作り出す方法を理論的に発見しました。

有機化合物は、その構成単位が「丸い」原子ではなく「形を持った」分子であるため、分子が特定の方向を向いて整列することで結晶を構成しています。本研究で注目したκ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clという有機化合物では、板状のBEDT-TTFという分子が二つずつ向きを揃えたペアを組んで結晶化します[図1(a)]。この時、図中A、Bで示すように、ペアの方向には二種類あることが重要なカギになります。研究グループは、この配向パターンに注目し、この物質におけるスピン流を理論的に計算しました。その結果、二種類のペアに電子スピンがそれぞれ逆向きに整列した反強磁性と呼ばれる磁気的な状態において、電場あるいは温度勾配を加えることで、電子がそのスピンの方向に応じて異なる方向へと流れることを見出しました。これは、加えた電場や温度勾配と垂直な方向にスピン流が発生することを意味します[図1(b)]。

このスピン流の生成機構は、これまでのスピンホール効果によるものとは本質的に異なるものです。ここでは、スピン軌道結合の代わりに、配向した分子ペア上の反強磁性が、電子の流れをそのスピンの向きに応じて振り分ける役割を果たしています。これにより、これまでのスピン流生成に必須とされてきたスピン軌道結合を必要としないため、軽い元素のみでできた有機化合物でも効率的にスピン流を生成することが可能となっています。実際、理論計算から、この機構によるスピン流への変換効率は、Ptを用いたスピンホール効果によるものに匹敵することが明らかになりました。図1(b)に示した反強磁性状態は、κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Clにおいて低温で実現する状態であるため、本研究で見出したスピン流生成の実験的な検証が待たれます。


(3)そのために新しく開発した手法

ここでカギとなった分子ペアの配向の効果は、理論的にも実験的にも長年見落とされていたものでした。これまでの多くの研究では、分子ペアを一つの丸い「原子」と見なす簡単化が行われていました。本研究では、分子配向をあらわに取り入れた精密なモデルを構築し、量子力学に基づいた解析計算とコンピュータシミュレーションを併用することで、その性質を初めて詳しく調べました。これが新しいスピン流生成機構の発見に繋がりました。

(4)研究の波及効果や社会的影響

スピン流の生成に強いスピン軌道結合が必要であることは、現代のスピントロニクス研究の常識であり、希少な重金属が必要となることやスピン流の伝わる距離が短くなってしまうことは原理的に避けられない頭の痛い問題でした。本研究の成果は、これら二つの問題を同時に解決する画期的な方法と言えます。同時に、これまでのスピントロニクス研究ではあまり注目されてこなかった物質の中にも、優れたスピン流生成機能を示す材料が潜んでいる可能性を強く示唆しています。これはスピントロニクス材料研究の裾野を大きく広げ、電子機器への応用を確実に一歩進めるものであると期待できます。

(5)今後の課題

本研究で提案する新しいスピン流生成機構では、有機化合物における分子の配向が重要な役割を果たします。これに類似した現象は、遷移金属元素などからなる無機化合物においても、電子分布の変形や配向として現れることがあります。このことは、特定の有機化合物に限らず様々な無機化合物も、本研究で見出した新しい機構に基づいたスピン流の生成の舞台となりうることを示唆しています。今後は、本研究で構築した理論をさらに多様な物質へと応用することで、高効率なスピン流生成を可能とする物質を理論的に見出して、実証実験を提案していきたいと考えています。

(6)用語解説

※1 スピン流

電荷の流れを伴わない純粋なスピンの流れ(「純スピン流」とも呼ばれる)。上向きスピンと下向きスピンを持つ電子の流れをそれぞれJ↑、J↓と定義すると、電流はこれらの和でI = J↑+J↓と表されるのに対して、スピン流は差でIspin = J↑-J↓となる。J↑= – J↓の場合、電流はゼロとなってスピン流だけが残るため、スピン流を情報を運ぶ担体として活用できれば、省エネルギーデバイスが実現できる。

※2 スピントロニクス

スピンとエレクトロニクスという二つの単語を合わせた造語で、電子のスピンをトランジスタなどの電子デバイスに応用することを目指す工学と、それを支える基礎物理からなる複合分野。1980年代に発見され、2007年のノーベル物理学賞に輝いた巨大磁気抵抗効果(磁場によって生じる物質の電気抵抗の急激な変化)とそのハードディスクへの応用によって大きく発展し、近年ではスピン流を中心とした研究が盛んに行われている。

※3 スピンホール効果

物質に電場を加えた時、これと垂直な方向にスピン流が発生する現象。スピン軌道結合によって、電子の運動方向(軌道)がスピンの方向に依存して変化することで生じる。大きなスピン軌道結合を持つ重金属や半導体界面などで実際に観測されており、スピン流を生成・制御する有力な方法の一つとされている。

※4 スピン軌道結合

原子核の周りを運動する電子がもつスピンと、軌道運動にまつわる軌道角運動量とを結び付ける相対論的な相互作用。原子核の正電荷が大きく、電子が原子核近傍に引き付けられるほど大きくなるため、原子番号が大きい元素ほど強くなる傾向がある。スピン軌道結合が強い物質では、スピンは電荷のような保存量ではなくなるため、スピン流は短距離で消失してしまう。

(7)研究助成

研究費名:日本学術振興会 科学研究費 若手研究B

研究課題名:分子ダイマー構造が創出する新奇な電気磁気効果の開拓

研究代表者名(所属機関名):中 惇(早稲田大学)

研究費名:日本学術振興会 科学研究費 基盤研究C

研究課題名:分子配列構造に内在するスピントロニクス機能の開拓

研究代表者名(所属機関名):中 惇(早稲田大学)

研究費名:日本学術振興会 科学研究費 新学術領域(研究領域提案型)

研究課題名:局所的な軌道混成に由来するトロイダル多極子がもたらす新奇マルチフェロイクスの開拓

研究代表者名(所属機関名):速水 賢(北海道大学)

研究費名:日本学術振興会 科学研究費 若手研究

研究課題名:遍歴磁性体におけるカイラル磁気秩序相の起源解明と特異な磁気・非相反伝導の探求

研究代表者名(所属機関名):速水 賢(北海道大学)

研究費名:日本学術振興会 科学研究費 新学術領域(研究領域提案型)

研究課題名:拡張多極子による動的応答

研究代表者名(所属機関名):網塚 浩(北海道大学)、研究分担者名:楠瀬博明(明治大学)

研究費名:日本学術振興会 科学研究費 基盤研究C

研究課題名:微視的多極子の秩序による創発スピン軌道物性の開拓

研究代表者名(所属機関名):楠瀬博明(明治大学)

研究費名:日本学術振興会 科学研究費 基盤研究C

研究課題名:電荷秩序およびスピン転移を示す強相関物質における光誘起量子ダイナミクスの理論

研究代表者名(所属機関名):妹尾仁嗣(理化学研究所)

研究費名:日本学術振興会 科学研究費 挑戦的研究(萌芽)

研究課題名:複雑分子系の有効モデル化と量子ダイナミクスの理論

研究代表者名(所属機関名):妹尾仁嗣(理化学研究所)

推定分野
研究期間 2015年度~2019年度 (H.27~R.1) 配分総額 261,170,000 円
代表者 網塚浩 北海道大学 理学(系)研究科(研究院)
推定分野
研究期間 2016年度~2019年度 (H.28~R.1) 配分総額 4,030,000 円
代表者 中 惇 早稲田大学 高等研究所
推定分野
研究期間 2018年度~2020年度 (H.30~R.2) 配分総額 4,030,000 円
代表者 速水 賢 北海道大学 理学研究院
推定分野
研究期間 2019年度~2021年度 (R.1~R.3) 配分総額 4,420,000 円
代表者 楠瀬博明 明治大学 理工学部
推定分野
研究期間 2019年度~2021年度 (R.1~R.3) 配分総額 4,420,000 円
代表者 中 惇 早稲田大学 付置研究所
推定分野
研究期間 2019年度~2021年度 (R.1~R.3) 配分総額 6,500,000 円